義親の相続なんて、まだずっと先の話。考えたこともない。——そう思いながら、それでも心のどこかで、こんな予感がよぎったことはないでしょうか。
そのときが来たら、たぶん、書類を集めたり、手続きに走ったり、あちこちに連絡したりするのは、私になる気がする。
不思議な話です。夫の実家の相続なのだから、「私があれこれ言うことじゃない」と、一歩引いている。それなのに、そのときになれば、実際に手を動かすのは自分になりそうな気がする。この記事は、その「口を出す話ではないと思っているのに、手は動かすことになる」というねじれを、相続が始まる前に、あなたと一緒に見ておくためのものです。
相続のやり方——誰がいくら相続するか、相続税はどうか、遺言はどう書くか——を教える記事ではありません。財産の分け方の話は、世の中にいくらでもあります。ここで扱うのは、その先。相続が始まったときに、あなた自身の時間や労力が、決めた覚えのないまま吸い取られていかないための、境界線の話です。
「私の相続じゃないから」と、一歩引いている
まず、あなたの中にある、ある感覚から始めます。
夫の実家の相続について、自分から積極的に何か言うのは、なんだか気が引ける。お金のことに口を出せば、財産に関心があるように見えるかもしれない。そもそも、これは夫と義きょうだいの問題であって、嫁の自分が出しゃばる話ではない。——そう感じて、一歩引いてしまう。
この遠慮そのものは、とても自然なものです。義実家という、少し距離のある家族の中で、立場をわきまえようとするからこそ生まれる感覚です。悪いことでは、まったくありません。
ただ、この「一歩引く」という姿勢が、後になって、思わぬところであなたを縛ることがあります。そのからくりを、順番に見ていきます。
嫁は、原則として義親の法定相続人ではない
ここで、地面をひとつ確かめておきます。
遺言書がない場合などに、義親の遺産を「誰が、どう分けるか」を話し合って決めるのは、相続人です。この話し合いを遺産分割協議といいます。そして民法では、配偶者と一定範囲の血族が相続人となり、義親の子の配偶者である「嫁」は、原則としてその中には含まれません。つまり嫁は、遺産分割協議の当事者ではない。
これは、「嫁は口を出してはいけない」という意味ではありません。家族として意見を述べることまで禁じられているわけではなく、ただ、分け方を最終的に決める当事者ではない、という事実です。だからこそ、あなたが「これは私が決めることじゃない」と一歩引くのは、立場としては筋が通っています。
問題は、その先にあります。分け方を決める当事者ではないことと、実務の手を動かさずに済むことは、まったく別だ、ということです。
でも、相続が始まれば「誰かがやらなければ進まない実務」が出てくる
相続というと、「誰が何をもらうか」を決める場面ばかりが思い浮かびます。けれど、実際の相続には、それとは別に、手を動かさなければ一歩も進まない実務が、たくさんついてきます。
役所や金融機関での手続き。必要な書類を集めること。誰も住まなくなった家の中を確認すること。義きょうだいとの連絡や日程の調整。残された家や荷物を、当面どうしておくか。——分け方が決まっても、これらは自動的には片づきません。誰かが、実際に動く必要があります。
そして、この実務が、当事者ではないはずのあなたに回ってくることがあります。夫が仕事で動けない、義きょうだいが遠方にいる、あなたが比較的時間を作りやすい立場にいる。そんな事情がいくつか重なると、気づけば自分が動いている、ということが起こり得ます。(これは、義実家の相続を直接調べた研究の話ではありません。誰が実務を引き受けることになりやすいか、という一般的な成り行きとして読んでください。嫁だから必ずそうなる、という話でもありません。)
「少し手伝う」と「担当になる」は違う
ここで、気をつけておきたい境目があります。「少し手伝う」ことと、「担当になる」ことは、実は違う、ということです。
はじまりは、たいてい小さなことです。「夫がよく分かっていないみたいだから、ちょっとだけ調べておこう」。「必要になりそうな書類だけ、先に取っておこう」。「義きょうだいへの連絡は、私がしておいた方が早いから」。どれも、善意で、ほんの一手間のつもりです。
けれど、その一回が、次の一回を呼びます。一度動くと、次も「じゃあ、それもお願い」となる。書類の場所を知っているのは自分、経緯を把握しているのは自分、連絡先を持っているのは自分。そうやって情報と段取りが自分に集まっていくうちに、いつのまにか、「手伝っている人」から「この人に聞けば話が進む人」へと、立場が静かに変わっていきます。
決めた覚えはないのに、担当になっている。介護のところでも触れた「役割の漂流」と、根は同じです。ただ相続では、あなたは分け方を決める当事者ですらないのに、実務の担当だけが手元に残る、という形になりやすい。ここが、少しやっかいなのです。
相続で決めるのは、財産の分け方だけではない
ここまで来ると、相続の準備というものの見え方が、少し変わってきます。
世の中の相続の話は、たいてい「誰が何を相続するか」に集まります。分割はどうするか、相続税はどうか、遺言はどう残すか。もちろん、どれも大切です。でも、そこには抜け落ちやすい一面があります。——財産の分け方を決めても、実務の分け方までは、決まらないのです。
「誰が何を相続する?」と同じくらい、本当は「そのとき、誰が何をやる?」が問題になります。役所や金融機関の手続きは誰がするのか。家の中を確認するのは誰か。書類を集めるのは。義きょうだいとの連絡は。残った家や荷物を見るのは。これらが宙に浮いたまま相続が始まると、その空白は、いちばん先に気づいて、いちばん動きやすい人が、黙って埋めることになります。
付け加えれば、たとえ遺言書があっても、遺産の分け方があらかじめ決まっていても、それだけで相続の実務を「誰が担うか」まで決まるわけではありません。「誰が何を受け取るか」と、「誰が何をするか」は、別の話なのです。
だからこそ、まだ相続が現実になっていない今のほうが、考えられることが多いのです。今なら、夫やきょうだいが「自分の親のこと」として、財産の分け方だけでなく、実務の分担まで含めて考える時間があります。もちろん、相続が始まってからでも、話し合ったり見直したりはできます。ただ、そのときには、悲しみや慌ただしさ、そして手続きの期限も重なって、落ち着いて分担を考える余裕は、今より小さくなっているかもしれません。相続が始まったら何もできない、ということではありません。まだ何も起きていない今だからこそ、選べる幅が広いのです。
夫が動かなくても、「私はどこまでなら手伝うか」を先に決めておく
このサイトが何度も立ち返る問いは、「夫が動かないなら、妻はどう自分を守るのか」です。相続でも、これは変わりません。
はじめに確かめておきたいのは、これは相続を放り出す話でも、夫を責める話でもない、ということです。夫の親の相続について、まず当事者として考えるのは、夫です。それは責任の押しつけではなく、単純に、夫がその親の子だからです。だから、あなたが義親に直接切り込む必要も、一人で全部を引き受ける必要もありません。
あなたにできるのは、「私は、どこまでなら手伝うか」の線を、相続が現実になる前に、自分の中で持っておくことです。そして、その線を最初に伝える相手は、義親でも義きょうだいでもなく、夫です。「いざというとき、私はここは手伝える。でも、ここから先は、あなたたち当事者で進めてほしい」。そう一度、言葉にしておく。
夫がすぐに向き合ってくれるとは限りません。だから、最初から「きれいに分担を決める」ことをゴールにしなくていい。まずはあなた自身が、「ここまでは手伝う。でも、担当そのものにはならない」と、自分の線を知っておく。それだけでも、実務がなし崩しに集まってくる流れは、変わり始めます。
完璧な線引きはいりません。まず、ひとつでいい。このとき効くのは、「相続人が決めること」と「私が補助すること」を、自分の中で分けておく発想です。たとえば、「調べるところまでは手伝う。でも、相続人同士の話をまとめる役にはならない」。「必要な書類は一緒に確認する。でも、義きょうだいへの説明役にはならない」。手伝う量の多い少ないではなく、“相続人がやるべきこと”を自分が肩代わりしない、という線の引き方です。
口は出さなくていい。でも、手も、自動的に差し出さなくていい。
「口は出さなくていい」というのは、あなたが黙っているべきだ、という意味ではありません。無理をして義実家の遺産分割に割って入らなくていい、ということです。それは、もともとあなたが決める当事者ではないのだから、当然のことです。
けれど、「私があれこれ口を出す話ではない」と感じていることと、実務まで自分が引き受けることは、イコールではありません。当事者でないあなたの労力や時間が、「気づいた人がやる」という空気の中で、決めた覚えのないまま吸い取られていく——それは、また別の話です。
相続であなたが守るのは、遺産の取り分ではありません。あなた自身の時間と労力です。財産の分け方は、相続人である当事者たちが決めていくことです。あなたが考えておきたいのは、その話し合いに割って入ることではなく、その先に生まれる実務を、どこまで引き受けるのか。その先の「誰が何をやるか」まで、あなたが黙って引き受ける必要はありません。そのことに、まだ何も起きていない今のうちに気づいておくことが、義実家のことで自分の人生を削らせないための、静かな一歩になります。
