義親はまだ元気だ。会えば同じように話すし、物忘れも年相応。認知症なんて、まだずっと先のことに思える。

それなのに、ふとした瞬間に、心のどこかでこう感じたことはないでしょうか。——本当は、聞いておいた方がいいことが、いくつかある気がする。でも、こんなに元気な義親に、「もし認知症になったら」なんて、とても切り出せない。

この記事は、認知症の予防法でも、介護のやり方でもありません。認知症について、元気なうちにしか確認できないことがある——そのことに、まだ時間があるうちに気づいておくための話です。そして、それを確認するのは、義親の財産のためではありません。あなた自身の時間や生活が、知らないうちに巻き込まれてしまわないためです。

元気な義親に、「もし認知症になったら」なんて聞きにくい

考えてみると、これはとても不思議な“言えなさ”です。

お金のこと、この先どうしたいかということ。本当は一度、落ち着いて聞いておきたい。でも、目の前の義親は元気で、話は弾んで、そんな深刻な話を持ち出す隙もない。むしろ、こちらから切り出したら、なんだか縁起でもないことを言っているようで、気が引けてしまう。

だから、「そのうち、機会があれば」と思っているうちに、月日だけが過ぎていく。

これは、あなたが冷たいからでも、準備が足りないからでもありません。元気な相手に「もしもの話」を持ち出すのは、誰にとっても気まずいことです。ただ、この気まずさには、少しだけ知っておきたい性質があります。認知症に関しては、その「もしもの話」を本人と交わせる時間そのものに、静かな締め切りがあるのです。

「まだ元気」が、先送りの理由になる

多くの家族で、認知症の話は、こんなふうに先送りされていきます。

まだ元気だから、今は必要ない。深刻な話をして、義親を不安にさせたくない。夫も「親父はまだ大丈夫だろう」と取り合わない。——どれも、悪意のない、むしろ優しさから来る理由です。

けれど、ここに落とし穴があります。「まだ元気だから」は、話を切り出さない理由になります。そして、いざ「あれ、少し様子が違うかもしれない」と感じ始めた頃には、今度は「今さらこんな話をするのは、本人を傷つけるのでは」という、別の切り出しにくさが生まれます。

つまり、元気なうちは「まだ早い」、変化が見え始めたら「もう遅いかもしれない」。切り出すのにちょうどいいと感じるタイミングは、実はなかなか訪れません。先送りは、誰かがサボっているのではなく、そういう構造の中で自然に起きているのです。

本人の意思確認が難しくなると、家族だからといって自由に動かせるわけではない

ここで、あまり知られていないことを一つ、確かめておきます。

認知症が進んで、本人の意思確認が難しくなると、家族であっても、本人に代わって自由に手続きができるわけではありません。「家族なんだから、なんとかなるだろう」と思っていたことが、思ったようには動かせなくなることがあります。

たとえば、本人名義の預金。認知症になったら口座が自動的に凍結される、という単純な話ではありませんが、本人の意思確認が難しいと金融機関が判断した場合には、払い戻しなどに一定の制限がかかることがあります。介護費用や入院費を本人のお金でまかないたいのに、その手続きに手間取る、ということが起こり得ます。

不動産の売却も同じです。実家を売って介護費用に充てたくても、名義人である本人の意思確認ができなければ、そのままでは進みません。ほかにも、各種契約や施設入所の手続きなど、「本人の意思」が前提になっている場面は、暮らしの中に思いのほか多くあります。

ただし、本人の意思確認が難しくなったからといって、何も方法がなくなるわけではありません。生活費や入院・介護施設の費用などで困ったときは、まず取引銀行に相談するよう全国銀行協会も案内しています。対応は状況や金融機関によって異なるため、「家族だから自由に引き出せる」わけでも、「もう一切動かせない」わけでもありません。

なぜ嫁の立場では、特に動きにくいのか

そして、この話を切り出すのが、嫁の立場では特に難しい。その理由は、一つではありません。(以下は義実家を直接調べた研究の話ではなく、人がこういう場面で言葉を飲み込む仕組みを、一般的な心理として書いています。)

嫁の立場で義親のお金や将来のことを尋ねるのは、なんだか出しゃばって見えそうで気が引ける。夫という当事者を差し置いて、自分が先に聞いていいのか分からない。そもそも、こういう話を切り出したら、そのまま「じゃあ、あなたが見てくれるのね」と、自分が管理する流れになってしまいそうな気もする。

どれも、わがままではありません。義実家という、少し距離のある家族の中で、立場をわきまえようとするからこそ生まれる、まっとうな遠慮です。

けれど、その遠慮が重なっているうちに、誰も切り出さないまま時間が過ぎていく。そして先ほど見たとおり、認知症の話は、切り出せる時間そのものに締め切りがあります。言えなさは自然なものだけれど、その自然さに任せておくと、確認できたはずのことが、確認できなくなっていく。

後からでも方法はある。でも、本人が自分で選べる時間には限りがある

ここが、この記事でいちばんお伝えしたいところです。

「認知症になったら、もう何も打つ手がない」——これは、正確ではありません。判断能力が不十分になった後にも、本人を支えるための制度はあります。いわゆる成年後見の制度で、家庭裁判所を通じて、本人に代わって財産の管理などを行う人を選ぶ仕組みです。判断能力の程度に応じて、支援のかたちもいくつかに分かれています。

つまり、「後から」でも、支える方法はある。だから、いたずらに怖がる必要はありません。

ただ、ここに大事な違いがあります。後から使える制度は、家族や周囲が「本人を支える」ための仕組みです。一方で、本人がまだしっかりしているうちにしかできないことがあります。それは、本人自身が「自分のことを、誰に、どう託したいか」を、自分の言葉で決めておくことです。将来に備えて、本人があらかじめ意思を残しておく制度も用意されています。

言い換えると、変わるのは「できるか、できないか」ではなく、「本人自身が選べる範囲」です。元気なうちは、本人が主語で決められる。判断能力が下がると、支えるのは周囲が主語になっていく。この主語の移り変わりに、見えにくい締め切りがあるのです。

「今すぐ全部決めなければ」ということではありません。ただ、本人が自分の意思で選べる時間は、いつまでも同じだけ続くわけではない。そのことだけは、知っておく値打ちがあります。

今確認したいのは、財産を握るためではなく「本人はどうしたいか」

そう考えると、今この時期に確認しておきたいことの中身も、はっきりしてきます。

それは、義親の財産がいくらあるかを把握して、握っておくことではありません。もしそういう目的なら、それこそ嫁の立場では出しゃばりに見えても仕方がない。そうではなく、確認したいのは、「本人は、どうしたいと思っているのか」です。

もし体が不自由になったら、どこで暮らしたいのか。誰に、何を頼みたいと思っているのか。そういう、本人の希望そのもの。これは、本人が自分の言葉で語れるうちにしか、聞けません。

そして、その希望を「知っている」ことと「知らないままにしておく」ことの間には、後になって大きな差が出ます。何も分からないまま家族が決めなければならない状況と、「本人はこう望んでいた」という手がかりが一つでもある状況とでは、支える側の負担も、迷いの大きさもまるで違ってきます。

夫が動かなくても、妻が管理役になる必要はない

このサイトが何度も立ち返る問いは、「夫が動かないなら、妻はどう自分を守るのか」です。認知症の話でも、これは変わりません。

まず伝えたいのは、この確認は、あなたが義親の財産管理役を引き受けるための入り口ではない、ということです。むしろ逆です。本人の意思を知らないまま時間が過ぎ、いざというときに「気づいたあなた」がなし崩しに手続きを背負わされる——その流れを避けるための話です。

だから、あなたがやるべきなのは、義親に直接切り込むことでも、一人で全部を抱えることでもありません。まずは夫に、「あなたの親のことだから、まだ元気な今のうちに、一度お義父さんお義母さんの気持ちを聞いておきたい」と、言葉にしておくこと。動くべき当事者は夫だと、確認しておくことです。

夫がすぐに動くとは限りません。それでも、あなた自身の側でできる守りがあります。自分が管理役に“なってしまわない”線を、自分の中で引いておくこと。そして、この先もし義親の判断能力が下がったら、自分の時間やお金や暮らしが、どんなふうに巻き込まれ得るのかを、知っておくこと。それだけでも、流れに押し流される確率は下がります。

今のうちに、全部を決めておく必要はありません。

ただ、まだ義親が自分の意思を自分の言葉で語れるうちに、「知らないままにしておかないこと」から始める。どうしたいのかを、一つでも聞いておく。制度にどんな選択肢があるのかを、ざっとでいいから知っておく。

それは、認知症を恐れるための準備ではありません。本人が自分で選べる時間が続いているうちに、その時間を活かしておく、という準備です。そしてそれが、義実家のことで、あなた自身の人生まで削られないための、静かで確かな一歩になります。